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関西クィア映画祭2012『SRS♂ありきたりなふたり♀』 ~ありきたりな女、分裂するトランスジェンダー

2012/09/01


「関西クィア映画祭」( kansai-qff.org/2012/ )はセクシャリティやジェンダー、またはそれらを巡る様々な生き方や考え方をテーマに多彩な映画作品を上映する関西のフィルムフェスティバルです。2006年から続けられている活動です。
この度、映画祭からある作品の映画評の依頼を受けて作品の試写を観ました。それが非常に興味深い作品だったのです。私の書いた映画評は映画祭の「公式ガイドブック」に掲載されますが、紙面の都合上、短くまとめたものです。あまり一般には知られていない作品のようですし、せっかくなので本ブログにおいてもっと掘り下げて紹介したいと思います。

~あらすじと簡単な紹介~
『SRS♂ありきたりなふたり♀』(監督/犬童一利)

シンガーソングライター続城健太郎の実体験を元にしている。主人公の青年「ツヅケン」は音楽のインディーズ活動を通じて女性シンガーである「ユイ」と出会う。
恋に落ちた二人だが、初めての夜、セックスの直前にユイが自分はSRS(性適合手術)を受けた男性なのだとカムアウトする。突然の事に面食らうツヅケン。「自分たちは普通の男女のカップルではない」。その夜はセックスに至らず、以後「普通の男性」と「普通の女性になろうとする元男性(MtF)」という二人の微妙な関係が始まる。
ユイが男性であることを笑う友人、男性であるユイへの恐怖や嫌悪、そればかりか我侭で高飛車なユイの性格。ユイを受け入れることに悩むツヅケンの前にセクシャルマイノリティの青年が現れる。
「Bar ライト」はセクシャルマイノリティたちが集うコミュニティだ。「ここは自分の性に悩むすべての人に光を当てる場所」。知られざるセクシャルマイノリティの世界。ツヅケンはそこでユイのような人がユイだけではないこと、決して特別でも孤独な存在でもないことを知る。
そんなある日、ツヅケンはライブハウスのスタッフの女性「アオイ」から告白を受ける。「彼女がいる」。ユイのためにツヅケンは申し込みを断るが「あの人は女性じゃないでしょう?私は女性です」とアオイに詰寄られる。男性であった過去を引きずるユイは素直になれず、ツヅケンと衝突ばかりしている。
このまま自分はユイを愛し続けることが出来るだろうか。逡巡する気持ちを抱きながらツヅケンはステージに向かいユイへの愛を歌う。

SRS「性適合手術」や、男性とのセックスなど、MtFなら男性と交際する上で身につまされる話を扱っている。ただ関西クィア映画祭のサイトでひびのまことさんが触れている通り( kansai-qff.org/2012/program/srs.php )、登場人物に珍妙な会話、振る舞いが目立つ。カムアウトをあっさり友人にアウティングしてしまったり、「工事」「サラシ」など風俗サイトや、2ちゃんねるで見かけるような隠語の数々、中には明らかに間違っているのではないかと疑う台詞も登場する。「もうサオは取ったんですか?アリアリですか?」と出し抜けに聞いてくるFtMのバーテンダーは、不条理コントの芸人のようですらある。
MtFの現実やセクシャルマイノリティに知識があると、かなり誤解と偏見のある作品だということは見ていてすぐ判るのである。おそらく監督やプロデューサーはある程度の勉強はしたものの、あまり実態をよく知らないで情熱や勢いで映画を作ったのだろう。ドラマもGIDをテーマにした「どこかで見てきたようなラブストーリー」だ。セクシャルマイノリティ、トランスジェンダーを描く作品として一見、稚拙な作品のようだが、しかし、観終ってみるとそうとも言えない数々の問題を感じること、そして、不覚にも感動してしまうという、ちょっと不思議な映画である。

MtFトランスジェンダーという存在

まずMtFトランスジェンダーである「ユイ」だが、彼女はセックスの直前までカムアウトしなければバレないほどのクールビューティーな完パスMtFだ。そして「女性としてのユイ」は「我侭」で「高飛車」という、いかにも「ステレオタイプな女性」である。ツヅケンにペナルティとして「命令を三つ聞いて欲しい」と甘えたり、命令がどんどん増えていったり、けっこう見ていて「嫌な女」として描かれている。
「ステレオタイプな女性」を演じることについてユイ自身が疑ってない点で、ユイはステレオタイプな女性である以前に「ステレオタイプなトランスジェンダーである」とも言える。
ユイは二重にも三重にもステレオタイプなのだが、この映画の面白いところは、そのステレオタイプ性が時々「壊れてしまう」ことだろう。それはもちろん知らないで作っているからなのだが…。要するに誤解と偏見でシュールなものとなり、ステレオタイプな女性としても、完パスMtFとしてもユイの人格が破綻してしまうような瞬間があるのだ。
喫茶店でユイが「自分が濡れなくてもあなたが下手なわけではない(※1)」と言い出し、ツヅケンが飲もうとしたコーヒーを吹き出してしまうシーンがある。ここでは「ステレオタイプな女性」を演じるユイの言動が結果的には「ステレオタイプな女性」としても、トランスジェンダーMtFとしても有り得ない、非現実的な会話を作り上げてしまっている。まるで女性型アンドロイドと男性のぎこちない会話のようですらあるのだが、しかしこれはもちろん意図してそうなったわけではない。監督はおそらく想像ではMtFと普通の男性のリアルな日常が描きたかったのではないか。だが現実にはそうはならなかった。もちろん、何も知らない人が見たら、それは監督の意図するシーンとなり得るかもしれないのだが。
こうなると何がスクリーンに立ち上がってくるかというと、我々が普段言う「ステレオタイプな女性」とは一体何なのか?そして「トランスジェンダー」とは一体何者なのか?という「ジェンダーへの根源的な問い」である。

二極化するトランスジェンダー

次にツヅケンの心理的描写として、男性が女装しているとしか見えない非パスのトランスジェンダーが倒錯的に描かれることだ(※2)。「倒錯的な女装者」は男性であるユイへの恐怖心や嫌悪感を表しているが、この作品を裏側から象徴する非常に特徴的な存在だ。シーンとして度々挿入されるが、観る者にトランスジェンダー当事者もいることを考えると、精神的に衝撃度の高い表現だろう。
MtFならパス度に関係なく誰もが一度は疑ったり悩んだりしたことがあるはずだ。「自分が気持ちの悪い男=オカマに見えるのではないか」と。まさに夢にまで出そうな「MtFのトラウマ」でもある。本来ならツヅケンではなく、ユイこそがそのイメージに悩み抜いていいだろう。
ところで「女装している男性」はなぜ「気持ち悪い」のだろう?「女装している男性」は、つまり「女性ジェンダーを疑ってない、信じ込んでいる男性」の姿を強く強調してしまう(本人がどう考えていようと)。「可愛くて我侭で美人なMtF」であっても「男にしか見えない気持ちの悪いオカマ」であっても、それが「女性ジェンダーをまるで疑わない存在」である以上、本質は何も変わらない。
「美人で完パスのMtF」として描かれるユイも「ステレオタイプな女性を演じ続けることを微塵も疑ってない」という点においては「気持ちの悪いオカマの男性」と本当は何も変わらない存在なのである。見た目が気持ち悪いというより、正確には、その見た目や所作からジェンダーへの盲目性が露呈するとき、人は「気持ち悪い」と感じるのだろう。自分のことは差し置いて。(だからユイも現実にあのように存在したら、いくら美人でも普通の男性はアンドロイドのようだと違和感を感じるだろう。それはロボットが人間のジェンダーを無心に反復しているようだから)。
「美人で高飛車なMtF」と「女装したオカマの男性」。この作品は二極化した、言わば分裂したトランスジェンダー、MtFの姿を描いている。主人公の青年、ツヅケンはこの二つに引き裂かれたトランスジェンダーのイメージに翻弄されるのだが、それはMtFにとても残酷な意味付け、序列化を行なっている。そしてさらに残酷なことに、この映画は最終的には「気持ちの悪いオカマの男性」を消去することで「ありきたりな二人」として互いを認め合う境地に至ってしまうのだ。

誤解と偏見はあるけれど…
「人を好きなる」ということ

誤解や偏見が多く、MtFには非常に残酷な作品だが、それでもこの映画は評価に値する。
男性に「エスコートして欲しい」とか「どっか楽しいとこ連れてって」とねだってみるとか。あるいは男性に「あなた男らしくない」と相手の愚痴をこぼすとか。ユイの何気ない行為のほとんど全てが(SRS後のセックスですら例に漏れないのだが)、実はMtFが手に入れようとしても到底手に入らないものばかりだということをきっと監督もプロデューサーも知らない。これは完パスのMtFだったとしてもやはり相当に難しいことではないだろうか。また自分をオカマに見せないためにどれほどの苦労と苦悩を体験するかも、彼らはきっと知らないと思う。
しかし、こんな映画バカバカしいとか、間違ってると思いながらも、最後まで観てしまうのだ。そして気付くと不覚にも感動してそっと泣いている自分に出会う。この映画の魅力は何だろう。それは、やはり作り手が「トランスジェンダーMtFを好きになろうとしている」という一点に尽きるのではないか。誤解や偏見も彼らが一所懸命に未知の相手を好きになろうとしているからではないのか。
人の誤解や偏見はそもそもどこからやって来るのだろう。恐れや嫌悪はなぜ生じるのだろう。
この映画は、トランスジェンダーMtFへの情熱のあまり、ジェンダーを盲信するトランスジェンダーの生々しい姿を描くという非常に難しいテーマを図らずも偶然達成してしまったのだ。そんなトランスジェンダーMtFとの出会いと幸運に恵まれた作品である。

(水野ひばり)

公式サイト『SRS♂ありきたりなふたり♀』
srs.syncl.jp

関西クィア映画祭2012公式サイト kansai-qff.org/2012/about
【大阪】HEP HALL – 9/15(土) 16(日) 17(月・祝)
【京都】京大西部講堂 – 10/12(金) 13(土) 14(日)

※1 濡れるかどうかはどんなオペを受けたかに加え、個人差もある。ポストオペのMtFが必ずしも濡れないわけではない。
※2 トランスジェンダー当事者によっては映像体験が心の負担になるかもしれません。

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From → LGBT

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