Skip to content

ICUのミスコンに反対するひとに10の質問

2011/06/15

ICUミスコン企画への反対がTwitterやFacebookで盛り上がっています。
わたしも実は反対していて『ICUのミスコンに反対するひとに10の質問』というのに答えてみます。

その前に関連サイトを紹介します。

ICUのミスコン企画に反対する会
sites.google.com/site/missconhantai/

共同声明
sites.google.com/site/missconhantai/statement_jp

世界人権宣言の引用に始まる「ICUのミスコン企画に反対する会」の「共同声明」は反対とか賛成とかともかく、セクシャリティやジェンダーの問題に興味をもたれる方は、一読の価値がある文章だと思われます。
寄せられた署名コメントも様々な意見があり、気付くことが多いのですが、読むにつけやはりICUというロケーション、その歴史やコンセプトは見逃せない点だと思います。

こちらはFacebookグループのページです。
https://facebook.com/NOmissconICU
Twitterのハッシュタグです。
#NOmissconICU

ICU国際基督教大学のサイト
http://www.icu.ac.jp/

『ICUのミスコンに反対するひとに10の質問』

わたしは実のところ言うとICUには全くと言って良いほど関わりがありません。
しかし、ICUと関わりのある方と関わりがあります。
そのほとんどはネットで知った方々ですが、わたしがジェンダーやセクシャリティの問題を考えるようになって多くの影響やヒントを与えてくれた人たちです。
性別を変えて生活すると様々な不可視の困難に遭遇することになります。
そのひとつひとつに挫けずに生きて行くにはどうしたらいいでしょうか。
わたしにとってフェミニズムはそのための道筋を示してくれたのですが、それは男/女といった対立を基軸にジェンダーを語ったり、批判するものでは決してありませんでした。
わたしの日常は男であったり、女であったりを反復するようなものです。それは「見る」側になったり「見られる」側になったりを反復するようなものなのです。
「見る/見られる」関係を行ったり来たりするのがわたしの生き方であり、わたしの日々の仕事なのです(たぶん)。
そういうわたしにとってのフェミニズムとは、「見る/見られる」関係を単に否定するものではなくて、その関係に介入し、いつでも転覆可能な、動的で自由な状態にする、そんな活動でなければなりませんでした。
これはわたしがトランスジェンダーだからだと思います。
わたしは日常的にポルノを受容し、楽しんでいます。男性の身体にも女性の身体にも(;´Д`)ハァハァしています。
また、自分は「見られたい」と思っているし、そのための努力を毎日惜しんでいません。
逆に「見たい」とも思っていて、女性や男性のあっちを見たり、こっちを見たり大変忙しい毎日を送っています。
破廉恥ですね。困ったものです。
そういうわたしはミスコンに反対出来る、というか、していいのでしょうか?
わたしは今回のことを、ジェンダーやセクシャリティについて考える大事なきっかけにしたいと考えています。

1. ICU以外の場所でおこなわれているミスコンにも反対しますか?(他大学、地域のミスコンなど)
特に今まで考えたことはなかったのですが、反対と言えばやはり反対です。

2. ICUのミスコンに反対するのはなぜですか? ICU以外の場所でおこなわれているミスコンにも反対するひとは、その理由もおしえてください。
わたしがミスコンに反対するのは、ミスコンが「性」や「身体」を画一化、序列化する運動だからです。
ミスコンだけでなく、性や身体を整理整頓し、画一化、平均化する約束事や価値観には反対です。
例えば、GIDの特例法の要件は次のようなものです。

1.20歳以上であること
2.現に婚姻をしていないこと
3.現に未成年の子がいないこと
4.生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること
5.その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること

日本ではセクシャリティが人権の中に含まれていません。
わたしのように性別を変えて生きたいと思う人は、戸籍上の性別表記を変更するために、これだけの要件を飲まなければなりません。
特に4、5は、非人道的です。
手術を受けて生殖腺を取った上に、反対側の性別に性器までも作り替えねばならないのです。
もちろんそれで良いと言う人もいますが、手術を受ける必要のない人もいます。
いや、そもそも、これは手術を受ける必要がないとか、あるとかいう問題ではなく、やはり「性別に関わる人権」の問題なのです。
身体を切り刻んで、女性の形や、男性の形を整えねばならないとする法律は極めて暴力的とは言えないでしょうか。
ここでは標準化された典型の女性の形や男性の形が前提とされています。
わたしたちは何がなんでもそれに合わせなければ、望む性別の戸籍はもらえないのです。
わたしはこうした考え方に反対しているので、当然、ミスコンも反対なのです。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、わたしにとって、ミスコンはこの特例法と同じものです。
ミスコンは人の身体を切り刻んではいません。しかし人の性や身体をある価値観の中で統一し、標準化することを目的としています。そうでなければコンテストで選ぶということが出来ません。
そうした行為が本質的に何を意味するのか、カタルシスで忘却するための祭典がミスコンだと言えます。
人の価値観に深く根を下ろし、肯定した人は自分が何を肯定したのか判らなくなってしまうでしょう。
ミスコンは、血は出ませんし、誰も性器を失いません。
が、しかし、意味合いからして、同じくらい残酷なイベントではないでしょうか。

ICUの歴史や創立コンセプトを考えると、こうしたイベントを肯定するべきではないと思います。
もちろん他の大学でも多様な性や身体を人権として尊重するなら止めましょう。

3. 容姿だけではなく様々な能力(特技、知性など)を選考基準にしているミスコンについて、どうおもいますか?
ステレオタイプなロールやオリエンテーションを作り上げることになるし、それを競うことになります。
「性」や「身体」の画一化というのは持って生まれた容姿だけでなく、性役割や、性的な技能、性的指向性といった人格や社会性、能力に及ぶものなのだということです。

4. ミスターコン、女装コンテスト、男装コンテスト、ミズコン、あるいは(たとえば)「ICUらしさ」コンテストなど、いわゆるむかしからある「ミスコン」から派生したイベントについて、どうおもいますか?
性や身体を撹乱するイベント、としては百歩譲ってもいいかな、と思っていたのですが、しかし、こうした亜種は本当に撹乱してくれるのでしょうか。本家のミスコンやそれを肯定するホモソーシャリズムを強化するためのオプションではないでしょうか。
ミスコンやホモソーシャリズムを正当化するアリバイになるようなら「撹乱を偽装するイベント」です。
もしそうであるならば、「偽装」という点でむしろ罪が重いような気もします。

※「町おこし」だとか「商店街の催しもの」だとか、そういうものもあると思うのですが、ここでは例外とします。

5. ミスコンにエントリする女性について、どうおもいますか?
これは「性」を特に見られるもの、見るもの、として消費するような職業、役目に就く女性一般に渡って言えることですが「人権が守られること」です。
風俗だけでなく、芸能やスポーツ、エンターティメントなど多岐に渡る話になるのではないでしょうか。
そして、こうした消費活動を通じてわたしたちが到達する「女性のイメージ」とは、もはや「ミスコンにエントリする女性」ではなく「女性一般」に還元されることでしょう。
「ミスコンにエントリする女性の問題」とは「ミスコンにエントリする女性だけの問題ではない」ということだと思います。

6. どのような条件がそろえば、あなたはミスコンを容認することができますか?
ミスコンが性や身体を画一化し、序列化するようなものでなく、むしろ撹乱し、色々な性や身体の受容を促すものなら良いのですが、そうなったらそれは「コンテスト」とは呼べないでしょう。

7. あなた以外のミスコン反対派の意見のなかで、あなたがどうしても同意できないものがあったら、教えてください。
同意出来ないわけではありませんが、男女間の不均衡だけに寄りかかった意見には「不十分」を感じます。
わたしは、ジェンダー間に生じる差異そのものがいけないのではなくて「差異によって得られるものの分配に不平等がある」と考えることにしました。
差異で得られるものを可能な限り平等に分配でき、また共有することで楽しもう、というのであればいいと思います。これは性や身体を画一化、平均化、序列化していく運動に反対することと矛盾しません。
そして、これなら男性も参加出来ます。男性を「男性だから」というだけで排除するような言い方はダメだと思います。
様々な性や身体の中には女性も男性も、そのどちらでもない性も、色々な性や身体が事実上含まれていないといけないのです。
わたしのミスコン反対は男性を常に「見る側に固定」し、批判し、排除するものではありません。
また「美」を否定するものでもありません。
わたし自身は美しくなりたいと考えています。でもそれは性や身体を整理整頓し、序列化することではないと思うのです。

8. 今回のICUでのミスコンに反対するなかで、「こういうふうに終結してくれたらいいな」とおもっているビジョンがあったら、おしえてください。また、「こういうふうには終結してほしくないな」とおもっていることがあったら、それもおしえてください。

ネットで終わらず話し合いの場がもたれることを望みます。
わたしは中止するのしないのというよりも、関わった方々が立ち止まって考えるきっかけになることを望みます。

9. 今回のICUでのミスコンが実施されたら、その責任はだれにあるとおもいますか?
Twitterでわたしは「ミスコンは既に始まっている」という言い方もしています。
これは、奇妙な言い方ですが、わたしたちが日常的に審査員として、参加者として、性や身体を眼差している可能性があるからに他なりません。
わたしたちの日常において、性や身体を画一的なものとするミスコン的視線が作動する限り、いつでも、どこでもミスコン的な空間は起ち上がるのです。
こうした日々の行いがミスコンを存命させているのだと思います。

10. ミスコン関係なく、あなたが普段から「よくないなあ」とおもっていることがあったら、おしえてください。
GIDにおける当事者同士、当事者とトランスジェンダーらの間に蔓延した差別の問題です。
これはGID当事者が一般の人、社会から差別を受けるという問題ではありません。
性別を変える人たちの中にも互いに差別があるのです。
性別を変える人たちの性や身体は本来、多様であるはずだと思われます。しかし、先の特例法にも見られるようにGID概念は性別二分法的な多数派の価値観の影響下にあります。
また戸籍上の性別表記を変えるための手段は現在、GID制度をくぐり抜けるより他に、さしたる方法はありません。
GIDなのか、そうでないのか。オカマかそうでないのか。シスジェンダーかトランスジェンダーか。
GID概念が導入されてから、この国ではトランス・セクシャルと狭義の意味でのトランス・ジェンダーの確執を脱却出来きず、複雑な関係が今日まで続いています。
もちろん、GID当事者の中にはトランスジェンダー概念がそぐわない人もいますし、抵抗を持つ人も存在しています。
しかし、性別を変えると一言に言ってもそれはそれほど簡単なことではありません。
医療では解決出来ない問題があることは誰も否定出来ないでしょう。
また、性別を変えた生活をして初めて体験することになる困難や辛さもあるのです。
柔軟で豊かなジェンダー概念を持つことは、GID当事者にもトランスジェンダーにも、この国で性別を変えて生きていこうとする人たち、またその専門医療や研究に関わる人たちには必要なことだと思います。

11.この項目は質問にはないのですが、特に共感を得た署名コメントです。

草野由貴さん(東京大学大学院)
『ミスコンの舞台に上がっていなくても、ほぼ同等の基準によって日々美醜は判断されており、「女性」は誰もこのゲームからは降りられない』

小澤伊久美さん(ICU)
『CGSの記事を読みましたが、あのような対話の場こそが本当は今回必要なのではないでしょうか…今回FBやtwitterなどでのやりとりにはそうした対話的側面が観察されていないように思います…対話の場から人々を遠ざけることにならないことを私は心から願っています』

匿名希望さん
『セクシュアルマイノリティの一人としてICUのキャンパスで過ごしています…私は世の中に対しては、諦めていかないととても生きていけない…ICUでのミスコン開催には断固として反対です。なぜなら、「人権宣言を掲げてきたICU」がミスコンを行ってしまったら、もう終わりだと思うからです』

あとMasakiさんの『ICUのミスコンに反対するひとに10の質問』です。
※長いです(笑)。けど、わたしが10の質問に答えてみたくなった、きっかけを与えてくれた文章でもあります。kleinb3.wordpress.com/2011/06/10/icumisscon-10qs/

広告

From → 未分類

2件のコメント
  1. ICUアラムナイ permalink

    ICU卒業生です。もう2年前のことみたいですが、こんな問題が持ち上がっていたのですね。

    >>「性」や「身体」を画一化、序列化する運動だからです。
    それは序列化されたら「あなた」が損をするから、という意味でしょうか? というのも、世の中には「性」や「身体」が序列化されたほうが得をする人も沢山いますよね。例えば身体能力を序列化するオリンピックがなくなったら世界中のアスリート達が悲しむでしょう。

    例えば、僕はひ弱だし運動も嫌いなのでオリンピックなんてやめろと思いますが、それでも「身体能力で序列化するな!」とは口が裂けても言えません。何故ならそれは自分(身体能力で評価されたくない人)の利益のために他者(身体能力を評価されたい人)の利益を奪う、自己中心的な行動だからです。

    フェミニストの方々が本当にやるべきことは、「性」の序列化で得している人々を玉座から引きずり落とすことではなく、「知性」なり「人格」なり自身が最も価値を置いている「美徳」を持ち上げていくことではないでしょうか。
    もしミスコンが開催されただけでその「美徳」の価値が霞んでしまうと仰るならば、それは元々大したものではなかったということになっちゃいますし。

    ※ちなみに僕はミスコンもAKB総選挙も、しょうもないイベントだと思っています。

  2. Nana permalink

    本当に、ウェブ上の議論を読むだけで結論を出してしまうのはためらわれます。議論を直接伺いたいです。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。